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【社会】体制(政治と行政)に対しての誤解。

 以前から信奉?しているビジネス処世術本???『7つの習慣』にあった大きな原則に、「一つの事に当たって関係する人たちの間に認識のズレがある場合、お互いにストレスが溜まる...」とは書いていませんが(苦笑)、そういう趣旨の教訓が紹介されていた。実はこれはどんな場合にでも当てはまる人間関係の大原則だと最近つくづく感じる。
 一般市民からすれば政治や行政は、私達市民(国民)生活の向上と安定、繁栄のためにあるものだと考えている。ところがその実態は、特定の団体や個人の利益と繁栄のためにだけに活動しているのではないかという疑問が確信に変わってきた。自民党が仕切ってきた戦後の日本は、そう考えると全ての事柄の辻褄が合うのだ。
 例えば政治と選挙。一時期に比べれば勢力は衰えてはいるものの、未だに他を圧倒する支持を得ている自民党。何故それほどまでの支持を得ているのだろうか。それは自民党を支持する代わりに、自らの所属する団体・業界・企業が自民党の推進する政策などで恩恵を受けるからだ。たぶん国民の3割近くは何かしらこうした恩恵に預かっていると推測される。自分達の生活がかかっているのだから、その支持は強固なものとなる。選挙のたびに話題になる無党派といわれる人達の動向と投票率。何故いつもこのことが話題になるのかというと、自民党支持の恩恵?に預かっていない残りの7割の有権者が、特定の政党を支持したら、さすがの自民党も敵わないからだ。投票率が下がれば、絶対数として自民党支持者の得票の比率が増して、結果として自民党の候補が勝つという構造になっている。行政側も自民党勢力が仕切っているのだから、いかに各自治体の選挙管理委員会が投票率アップのために活動しようとも、あくまで正論?建前?としてPRをしているのだから、実際に効果があがるはずも無い。もし職務に忠実で、本気で投票率のアップを目指す職員がどこかにいたとするならば、そんな職員は直ちにスポイルされてしまうことだろう。どんなに崇高な意思をもって参政権を行使しても一向に世の体制が変わらないことに辟易として、結果として投票行為を放棄する有権者が増えていく...これこそが、実は今の体制を仕切っている自民党の思惑なのだと認識することが必要なのかもしれない。
 そして一方の行政。行政職員のほとんどは自分達の給与が市民(国民)の税金で賄われているという意識に乏しい。何の努力なしに毎年国民の義務として徴収される税金が、当然のように自分達の予算に組み込まれていくからだ。そんな意識で戦後50年以上も組織が運営されているのだから、自分達の活動は自分達の組織の維持拡大にしか目が向かなくなるのも無理は無い。無理は無くとも、それは大いなる誤解であり思い上がりだ。これが全ての行政機関に蔓延っていることの問題は深刻だ。「公僕」という言葉は今や死語と化した。市民が困って相談に訪れた行政窓口で、受付時間が過ぎたから受け付けないとか、担当部署は別だとしてたらい回しにするなどは、もうほとんどの人達が呆れて受け入れている役所の体質の代表かと思うけれど、このこと一つとっても、決して役所の人間が、誰のために、何のために存在しているのかという存在理由をきちっと認識していないことの証拠だろう。受け入れ側の事情を考慮すれば、確かに仕方の無いことかと許せる部分はあるけれど、それでも事と次第によれば、そんなことを言っている場合ではないことだってたくさんある。そしてそのまま放置され生活におおいなる支障を受ける事態だって山ほどあるのだ。
 いずれ政治にしても行政にしても、一般市民のために存在していると当然そう思っていることが、実は彼らはそう思っていないのだ。自分の政党を支持してくれる人達のことだけを考えるから、社会に何の役に建たない施設や設備を作り続けることに邁進する自民党。市民生活の向上のためとのお題目を唱えながらも、一度決めたからと意味の無いダムや堰の建設を進める役所。小泉首相が誕生した時に唱えた「構造改革」とは、そんな旧態依然とした構造を変えてくれるものだと勝手に勘違いした私達。お互いに痛みを分かち合うなどと言いつつも、結局は全て税金で運用されるのだから、痛みは全て一般市民(国民)が負うという構造に気付かなければならない。
 こんな体制を変えることはとても厳しい。いや、体制など変えなくても良いから、少しでも真っ当な視点で政治や行政を行ってほしいものだ。けれどそれすら絶対にかなわないことだろう。なぜならば、少なくとも3割ほどの国民と全国にいる公共団体・行政組織の職員と家族の人達にしてみれば、そうした相互利益交換の構造が崩れることは、即自分達の生活が脅かされることだと考えるからだ。けれど、決してそうした構造が無くても十分に生活できることなど、改めて言うに及ばない。何故ならば、そうした構造の外にいる私達国民の7割の人達も、ちゃんと生活できているのだから。当たり前のことを当たり前にして、税金も払いながら、ちゃんと生活ができるのだから。ところが彼らはそうは考えられないのでしょうね。だから必至になって自分達を保護してくれる自民党を応援している…そうとしか考えられませんね。
 以前に郵政族と言われる自民党の某議員が、郵便局の公社化に反対する活動の中で、「郵便局が無くなればお孫さんからの手紙が届かなくなって淋しいでしょ」と地域の老人に語っていたシーンがテレビで紹介されていたことを思い出した。「だから公社化に反対している私を支持してくれ」という。それこそ論点のすり変えである。郵便事業を無くすなんて誰も言っていない。主体を国から民間に移す過程での公社化という処置に過ぎず、民営化したがためにサービスが低下するなどと、どんな脳ミソしていたらそんな事が危惧されるというのか。その某議員は今でも健在で、今朝もテレビで自説をぶっていたけれど...。そんな彼の政治姿勢は明らか自己保身以外の何物でもない。彼は自分の地位の意味を明らかに穿き違えている。国政を担う議員であれば日本国の将来を見据えた活動をしなければならないと考えるのは、一方的な思い込みだろうか。決してそうではないと、国民の7割の人達は、きっとそう考えていると信じたいけれど...。川辺川利水訴訟の裁判の過程で明らかになった農水省?担当者による関係農民の同意書の改ざん問題に対しても、「当時の担当者は誠意を尽くしてやった」という釈明を聞くにつけ、民意を汲むことが目的ではなく、同意を取り付けることが仕事と勘違いした当時の組織の問題を完全に無視したものだ。何のための行政か...バカモノ!。
 戦後の日本の体制を作ってきた自民党。そんな政治活動と表裏一体の関係で組織を固めてきた中央官庁と各行政機関、そしてそんな自民党政治の流れを汲む多くの地方公共団体。そんな今の日本の体制は、特定の勢力に対しての利益誘導と権益保護のために存在して、広く一般市民(国民)の生活の安定と向上、福祉の充実などは考えていない。最近は本気でそう思うようになってきた。そこには政治家(議員)や役所に対して、「こうあるべし」と私達が勝手に期待しているという、私達の大いなる誤解があるのかもしれない。哀しいけれど、きっとこれが正しい現実の認識なのだろう。ぅぅぅぅ、これで良いのか!。
(2003/05/17)

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 ここまで書くと、完全に自民党政治を批判しているとしか捉えられないかもしれません。けれど自民党が今の日本を良くも悪くも作ってきたという実績があります。議員も官庁職員も、実に優秀な人達ばかりだということも認めざるをえません。だから、こんな相互の利益交換の構造の転換を図れば、日本の未来は決して暗くはありません。優秀な頭脳と豊富な実績の向かうべき方向を、今一度、ひろく国民全般の視点に立ち、日本の将来を見据えたものにしてくれればと、切に願って止まないというのが本音です。今のまま仮に何かのはずみで政権が野党に移ったならば、国政どころか行政全般が混乱して止まってしまうことは必至かと考えざるをえないのです。
 『7つ』で説いているもう一つの原則。お互いの関係がWin=Winでなければならない。一方が勝って一方が負けるという関係は正しくないということです。犯罪を犯したり武力で相手を封じ込めるという反体制というよりも反人間的な行為を容認するような人達を除いた全ての人達を、お互いに認め合い共存する真のWin=Winな社会を築くためにも、自分達さえ良ければ日本の将来などどうなってもよいと言っているとしか考えられないような、今の自民党とその支持者を中心とした構造は、直ちに見直すべしと、強く強く主張したいと思います。
 今までで一番過激な発言でしたかね...。
(同日・追記)


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