【社会】雪印食品の不正発覚にみる、変わらぬ社会の意識欠如。 雪印の企業体質は一昨年の集団食中毒事件以来変わっていないことが明らかになった....といっても、事後の一連の対応を見ていれば、変わらないと感じたのは私だけではないだろうけれど。今回の事態は犯罪行為として告発すべきとの方向で一致している。テレビで社長の辞任では責任をとったことにならない、逮捕すべしと言っていたが、まさにその通りだと思う。制度を悪意で利用して本来と異なるお金の流れを実現する行為をここでは「搾取」と表現している。個人の懐に入れば横領だ。会社入れば搾取だ。公金搾取は不正だ。公的な不正にたいしては法律が制定され罰則規則がある。今回は国産和牛業者救済のための助成金搾取という事件だけれど、全ての行政予算、公共工事しかり、行政機関の資材調達全般にわたる支出しかり、全ての公金の流れが公正で公平でなければならない。今回の雪印の問題は、いずれ蔓延る公金搾取に対しての不正意識の欠如の意識がさせたといえるだろう。 一連の報道をみれば、企業体としての雪印は社会的な存在価値が無くなったと言わざるを得ない。聞けば北海道では雪印は地元企業ということで大変な信頼と誇りをもたれているという。雪印ブランドの生き残る道は、現在の全ての経営陣の退陣以外に無いかもしれない。酪農業と酪農業者、牛と乳、乳製産品の意味....こうした雪印のコア・コンピタンスを本当に理解している人間が指導すべきだろうと思う。企業とは確かに利潤を追求する利益組織である。しかしそれ以前に「....もって社会に貢献する」という、存在価値がなければならないのは当然のこと。利益だけを追求する経営者は哀れみをもって世の中から消滅していただくことを願う。 (2002/01/27) |