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【音楽】やっぱり許せないCDの廃盤
 雪印食品の問題で被害者は生産者と消費者だ。体を張って自然と対峙して家畜を育て、食肉用に供されることを目的として飼育しているにも関わらず、精一杯の愛情をもって家畜を育ててきた生産者。自らの生を得るための尊い生の交換という、生きるための糧を生き物に頼らざるを得ない人間が、より豊かな生活を送るために、味覚を満足させるために良質な肉質を求めるための、その唯一の拠り所の表示ラベルを偽られるという神をも裏切るような背任行為に泣いた消費者。
 この構造をそのまま音楽業界に持ち込むのは無謀なことを承知で当てはめてみれば、何だかシックリくるものがあった。自らの分身の如き創作活動の末に生まれた様々な楽曲。生きる糧として、豊かな生活を彩るためのものとしてそれを求めるリスナー。その両者を繋ぐものがレコード業界でありそれを支える音楽業界全般といえよう。音楽業界の雪印食品は山ほどあるような気がしてならない。レコード会社が無ければ音楽はリスナーの元に届かない。いや、レコード会社だけじゃないけれど、CD販売以外から得られる楽曲1曲あたりの著作権印税だけでは音楽家は生活できない。自らが精魂を注いで創り上げた音楽を大多数のレコード会社は食い物にしている。制作や営業の現場は一生懸命、それこそ汗水たらして、一人でも多くの人によの良い楽曲を届けようと努力している。しかし営利団体である会社は利益を求め、「より売れる商品」、「より利潤の上がる商品」という価値基準しかもたずに制作の現場に、営業担当に、さらには生産者であるアーティストにも売れる作品を作るように求める。
 最も顕著な例がCDの廃盤という制度。何度でも繰り返すけれど(^^;;)、やっぱり許せない。商品価値の無くなったCDはどんどん廃盤になる。かつて数百万枚のセールスをあげて多くのリスナーに支持されたアルバムも、商品としての価値が無くなれば廃盤にする。廃盤になったCDは店頭では入手できない。この世の中からその楽曲が存在しないのと同じ扱いだ。レコード業界を音楽文化を担うと言ってはばからない業界人。嘘つき!。それが文化であるならば、それを世の中から抹殺して良いものか。作品の良し悪しはセールスの有り無しではないでしょう。文化的な価値や使命が無くなったから廃盤にしているとでも言うつもりなのでしょうか。大した内容でもないのに世紀の名盤よろしく大々的な宣伝とキャンペーンでリスナーを騙して利潤を上げる。レコード業界のラベル詐称は日常茶飯事だということにならないだろうか。
 中には流行に乗せて、流行り廃りだけで商品化されるCDだってあって良いと思う。文化的というよりも芸能的というかノリというか(^^;;)、娯楽として一時の気休めとしてなら十分に楽しめるという、そんな曲も楽しくて良いと思うけれど、そんな全てを一律同じ基準で、同じ手法でマーケティングするのは、どう考えても乱暴だ。ではその楽曲に文化的な価値があるかないかの判断基準はどこにあるのかと問われれば、確固たる基準や理論は、今の私にはまだ持ち合わせていない。だからと言って、一流大学出身者が厳しい選抜の後に採用された職員が集う文部科学省ですら検討をしていない基準を述べよと言う方にも問題は無いですかね。私は思う。こんな批判に対して「それは個人の好みだから」などと伝家の宝刀を抜いたつもりが、それは自らの首を締める愚かな行為に対しての天からの施しだということを。

 生産者も消費者も、いわんや雪印食品の現場担当者も、皆して真面目によい食肉を届けるために努力してきたはずだ。利益を数字を上げるための手段としてだけの視点から見ていた経営陣と一部幹部の行為に対して天誅が下ったというのが今回の一連の騒動のメカニズムだと思う。であれば、以って他山の石との格言よろしく、音楽業界のみならず全ての企業経営陣は、その扱い商品・サービスが社会の中でどのような位置付けにあるのかを、きちっと考えてほしい。そんな企業の社会的な意義をきちっと踏まえたうえで適正な利益を上げるというのが筋だろう。その行動一つ一つが反社会的な行動になっていないか、真面目に見つめ直してほしい。
(2002/02/23)


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