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利用されてたまるか

 人は一人では何かを成すことはできない。自他ともに特定の個人が中心となって事を成しえたようにみえることはあるだろう。しかしその影には必ずそれを支えた多くの人がいるはず。そんな当たり前のことを分からない人がいる。「あれは私がやった」なんて大きな口をたたいている人ほど、確かに関与はしているもののその本質は理解していなかったりするもの。「じゃぁ、それをやってください」と問われた時に、どうするつもりなのでしょうか。同じやり方ではなくても、それを実現する手立てなり段取りを分かっていないのに、少なくとも私にはそんなことは言えたものではない。そんな出来もしないことに大口をたたく人ほど、普段は相手にもしないくせに事があると、本当にそれを仕切っている人に擦り寄ってくるもの。

 平成元年にオープン直後の東京ドームで開催した住宅関係の展示会があった。当時営業担当だった私が実質的に仕切っていた。立場的に組織図上では一現場担当者の位置に甘んじていたけれど、全体設計から運営組織や予算計画までを私は自分でやったと思っている。当時SP担当だった今の私の上司などは、自分の実績としてこの展示会を上げているけれど、彼には実際の進行のノウハウはもっていないと思っている。実際に「これは本当に私の仕事か」と疑問をもちつつ当時作業にあたっていた。一緒に仕事をしてきたという仲間意識はあるものの、彼の分まで仕事したと心の底では思っている。来年開催を計画している札幌ドームでの展示会の事務局を彼は任されているようだが、果たして実際に業務をこなせるのだろうか。折に触れて彼は私にそのノウハウの開示を求めてくる。別に彼に恨みは無いけれど、そんなリクエストには適当にあしらっているのが現実。このノウハウは私のものだ。私だって一人じゃできない膨大な作業がある。ただどこに何を頼めば実現できるかは知っているつもりだ。

 AORクラブという音楽ファンが集まるサークルがあった。大学時代の友人が参加していたこともあって誘われて入ったものの、そこに集まるユニークなメンバーと、そこで交わされる音楽情報の濃さに魅了されて一時期ハマっていた。もともと仕切りたがりの感があるので(汗)、気づくとミーティングの段取りや会報誌の制作に深く関わっていた。その友人の段取りの悪さと、そんな彼が困っている姿に助け船を出し、彼が他のメンバーから悪く思われないようにと優しくしたのがあだになった。結果的に彼はクラブそのものの活動から、自らの業界入りの道具としてクラブを利用するようになっていた。しかし気付くのが遅かった。結果的に彼はクラブを踏み台に無事業界入りを果たし、今では結構あちこちでその名前をみるようになった。しかし彼の業界入りの実績となったクラブそのものは悲惨な最期を迎えた。私を含む数人の心有る有志がクラブ再興のために努力してはみたものの、いかんせん皆社会人なので、それぞれの本業との兼ね合いで志は中途半端なものとなり、結果クラブは解散してしまった。その清算の仕方もだらしないものだったけれど、これもある意味仕方の無いことだったのかもしれない。公私を問わず相当なエネルギーを投下して作り上げていったクラブを彼は利用した...私は結果的に利用されたという感情を抱いてしまった。

 Jam For Joyという音楽イベントについても、主宰する某氏との偶然の関わりから仕切りに参加したものの、あくまでボランティアという立場を良いことに、無償でかなり専門性の高い内容を要求されるようになって、先のクラブと同様に「利用されている?」という感情が芽生えてから熱意が急速に褪めていった。

 自己実現とは社会的な存在の人間の本質的な欲求の一つ。しかし自己実現のために人を踏み台にして良いはずがない。利用するとか利用されたとか、そんな関係は醜く卑しい。協力してお互いに...という姿勢がどれだけ大切かは、いくら言っても理解できない人に熱く語っても時間の無駄。ドームの展示会の件にしてもAORクラブやJam For Joyの件など、いずれも私の個人的で一方的な見方かもしれない。しかし、それぞれの企画についてその中身はともかく私は自分の手で運営できる環境を作れると思っている。いくら人の良さそうな笑顔を振りまいて近づいてきたとしても、「利用された」人とか「利用しようとしている」人とは距離をおいて接するのが一番だと今は思っている。勝手にしてなさい。あなた方の態度の裏側にそんな感情を抱いてしまった以上、そんな関係を改善しようと努力するのはあなた達の方です。私はあなたを必要としていないのだから...。自分からそんな人との関係を改善しようという時間は私にはありません。
(2001/08/24)