【社会】私達が出来ること... 何とも悲しい出来事が起きてしまいました。お盆休みの真っ最中の8月14日、神奈川県の玄倉川の中州でキャンプを張っていた一行が、折からの豪雨で満水になった上流のダムから放水された濁流に飲まれ、10数人が死亡するという惨事になってしまいました。 この出来事には様々な問題点があります。まず第1は中州でキャンプを張った暴挙。アウトドアの心得がある者は、絶対にしてはいけない事なのだそうです。第2は警報が鳴ったにもかかわらず避難しなかったこと。一行の中には不安を感じて、岸に停めていた車に移動した者もいました。更にダムの管理事務所の職員や所轄の警察官が川岸から警告もしたそうですが、何の根拠があってそう判断したかは定かではありませんが「いつものことだから大丈夫」と言った者がいたそうです。第3は下流に危険な状況がありながらダムから放水をしたこと。放水をしなければならないという状況は十分理解できますが、避難していない人がいることが分かっていながら開門したのです。 第1の問題は、どうしようもないです。何をするにしても絶対に知っていなくてはならない事はあるはず。今回の場合は、安全なキャンプの心得をひたすら啓蒙するしか対策は無いと思います。 第2の問題。これは何の根拠も無いのに、自分勝手な基準で判断すべきでないという行動規範をそれぞれの心に深く刻むことしかないでしょう。「そんなことになるなんて思ってもみなかった...」との弁解があるけれど、これって実は何の弁解にもなっていなくて、更に突っ込んで「何故そうなると思わなかったのか」との問いには絶対に答えられないからです。自らの身が滅ぶだけなにともかく、何の判断能力も無い子供達にまで災難が及んだ今回の出来事には、やるせない思いが募り、不憫なだけです。 そして第3の問題。ダムの放水を躊躇して、ダムが決壊などしようものならその被害は膨大です。ダムの破壊だけでなく流域の集落への被害も甚大です。そんな大きな災害と引き換えになっていると、「大丈夫...」と答えた人は分かっていたのでしょうか。しかし放水すれば災害が起こることが分かっていたにもかかわらず放水を始めたというのは、一体どういうことでしょうか。たぶん総理大臣クラスの上級官吏でも判断できない事態だったに違いありません。にもかかわらず放水されたのです。 こんな問題点だらけの今回の出来事を受けて、私達ができることは一体何なのでしょうか。所轄の神奈川県はキャンプ禁止区域の指定を検討し始めました。しかしこれは問題のすり替えです。危険だから禁止するのではなく、危険から回避する方策を取るべきです。今回の出来事で問題なのは、中州にキャンプをしていたことは言わずもがなですが、警報が鳴ったにもかかわらず避難しなかったことと、警告したにもかかわらずそれに従わなかったことにあります。であれば、避難しなかった者には厳罰を課し、さらに強制排除できる権限を所轄の警察に認めることだと思います。「危ないから避難しなさい」と警告を送り続け、目の前で濁流が押し寄せ、救助にも向かえず見守っていた人達の無念さと言ったら、何と表現すれば良いのか言葉がありません。しかもこの報道に接した全国の人達の悲しみ・やるせなさ...そんな悲しみは、すべて、あの無責任な「大丈夫...」の言葉から端を発しています。この言葉を吐いた方は誰かは分かりません。もしかしたら亡くなってしまった方なのかもしれません。死者を愚弄する気はさらさらありません。しかしそんな無責任な言動の代償はあまりに大きすぎます。禁止区域の指定を拡大するのではなく、そんなルール作りが必要だと思います。 そしてもう一つ。玄倉川から多くの遺体が流れ込んだ丹沢湖をメモリアル・パークとして、ルールやマナーを遵守した安全で楽しいアウトドア・レジャーを普及させる拠点とすることを提案します。今回犠牲になった人達は、ある種反面教師的な位置付けになってしまいますが、その人達の分までアウトドア・レジャーを楽しんであげることが、彼らに対しての大いなる供養になるはずです。このままでは丹沢湖は二度とレジャー拠点としてはなりえません。アウトドア・レジャーはルールさえ守れば楽しいレジャーのはずです。マナーさえ守れば地域へも迷惑をかけずに楽しめるはずです。悲しい出来事があったからこそ、そんな対応が必要なのではないでしょうか。さて第3の問題に対しての対応策は...今はよく分かりません。人の命は数の大小で測れるものではありません。こんな二者択一が出来ない事態を起さないように努力するとしか今は言えません。 楽しいはずの夏休み。この出来事はあまりに悲しすぎました。 (1999/08/18) |