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【音楽】AOR CLUBが終わる...。

 最終刊になる「AOR CLUB Magazine Vol.51」が届きました。一時期よりも薄くなったとはいえ、それでも52ページのAOR本。いやぁ、ご苦労様でした。

 一昨年の秋、クラブ運営にあたっての基本的な方針に疑問をもった私は、意見を同じくする有志数名と100通をゆうに超えるEメールで意見を交換した後、その内容を運営幹部に対して投げかけることにしました。ところが時を同じくして、例の出来事が明るみに出たのです。考えてみれば、同じタイミングで発覚したこと自体、何かの因縁を感じてしまいますが...。事のインパクトから、「運営方法がどうの」とか「クラブの方向性がこうの...」なんて話は影が薄くなり、身の危険を察した当時の幹部達は運営主体としての責任を放棄し、いつしか声をあげた私を含めた数名が、運営主体の本丸を司る立場になってしまったのでした。
 もともと「運営主体には絶対にならない」との誓いをたてて参加したクラブだったので、「おいおい、冗談じゃね〜ぞ」と思いつつも「このままではいけない、何とかしなくては...」と頭と体が勝手に動く日々を過ごしていました。しかし、もともと仕事の都合で毎年3・4月は多忙を極めるため、入会当初からこの時期はクラブの会員としての活動さえ控えていたにもかかわらず、事態は好転するどころか泥沼の情況を呈してしまい、収拾のために最も重要な時期と、この多忙な時期がぶつかってしまいました。事のさばきが不能となった私は、緊急非難的な善後策を講じてクラブ運営から手を引きました。もともとクラブ運営を全うする責任など無い立場でしたので、ある意味中途半端なまま「あとヨロシク」状態だったのは否定しませんが、このことに対しては後に大いに非難されました。でも当時の私からすれば、あれで精一杯だったと思います。あの頃を思い出すと、今でも胃が痛む思いです。そんな状況でしたから、仕事が一段落着いた後も運営方法の改善に向けた動きなどに、とても口をはさむ気はしませんでした。
 その後も何だかんだと言いつつもクラブの活動は継続されました。しかし、かつての問題提起の声などすぐさま忘れさられ、旧態依然とした運営が続いていました。あれだけ大騒ぎした私達は一体何だったのでしょうか。聞く耳をもたない者に対して開く口など持ち合わせていません。勝手にどうぞ状態が続いたまま今日に至ったというわけです。

 楽しかった思い出は山のようにあります。会報作りにしても、原稿を皆で手分けしてコンビニでコピーしていた頃。10数人のミーテイングで全員が和気藹々とAOR談義に花をさかせていた頃。仲間とともに地方の中古盤屋に遠征したこと。初めて大阪へ行った時のこと。初めて大阪から来た会員の人達と一緒にミーティングしたこと。初めて中田さんと会った時のこと。ミーティングとリンクせずにクラブの人達と会ったこと...もう、書ききれません。みんな楽しい思い出です。しかし、「終わり悪ければ全てダメ」と歴史上の賢人が申している通り(?)、それまでの楽しかった日々は、私の中では全てチャラになってしまいました。

 正直なところ当時の幹部の人達には感謝こそすれ恨みはありません。彼らがいなければ、あんなに楽しい日々は過ごせなかったのですから。ただし、そのあまりに常識外れで無責任な運営方法とその後の対応については、絶対に許せません。過去のものとして水に流す気もありません。AORクラブは誰のもの?。それは会員全員のものです。それが理解できていたら、あんな運営はありえなかったはずです。今でもそう思っています。だから、「自分達がクラブを仕切っていた...」なんて絶対に言わないでください。
 クラブを通じて知り合えた素敵な人達との交流は、これからも一生続くものと信じています。もっと楽しい出来事が、これからもたくさんあるはずです。そんな来るべき楽しい場をシラケさせるような、そんな発言を聞かずに済むことだけが、私の切なる願いです。
(1999/05/09)


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